Tuesday, January 30, 2007

イラク新政策は旧政策と異ならず誤り:JOHN MCCAIN議員との奇遇と彼のこれからの落下

**イラク新政策は誤り:ケイン議員との奇遇と彼のこれからの落下

意外だとは言えないけれども、とても残念なことに、僕がこの間飛行機の中にばったり会ったメケイン議員は、僕のアドバイスを全く聞かずイラクの前線へ部隊人数を増員するように要求した。僕が彼に勧めたことは二つあって、二つとも無視された。

勧めたことは、要するにアメリカの次の大統領に成りたければ、アメリカは帝国主義を反対する(旧)保守主義へ戻り、新保守主義とイスラエル陳情団から離れろ。そしてイラクからの段階的撤退を支援しろ。そうすると君が亜米利加の次の大統領に絶対選ばれる、と勧めたが、完全に無視されました。

ま、彼のこの五年の履歴をみればー 即ち、初めからイラク戦争に賛成してきたし、新保守主義とも同盟し、それにイラク戦争をイランまで広げるように支持しているー マケイン議員は「小規模で短期間の増派は最悪」だとし、「十分な数の追加部隊」を送るよう要求したということは当然だ。

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雑司ヶ谷のお会式:デリシャ・カーニバル

 昨夜は鬼子母神 (法明寺の近く) 御会式の最終日でした。見世物小屋というのがあって、デリシャスウィートスという人々のショーを見ました。後ろで演奏するバンドの人達もかっこよくてよかった。

 今年のお会式では「デリシャ・カーニバル」というショーが行われました。ホームページによっては「デリシャスウィートスとはコケット小悪魔エネルギッシュな世界1998年から始まったコケットショウ」ということです。(生きている蛇を貪ちゃう女のVideoも間もなく載せます。)http://www.derisya.com/

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雑司ヶ谷についてはこちらです

歯磨き粉のさまざまな用途

歯磨き粉のさまざまな用途

歯磨き粉はいかに素晴らしいかを君らに伝えたいと思います。
歯磨き粉の普通以外の使い方をここに書きます。
ほかにもあるなら、ぜひコメントに書いてください。

1.目と目との間につけると、眉毛が抜きやすくなる。二つの眉毛が一つに繋がっている人にとって、これはとても便利。
2.ニキビが出来た時、或は出来そうな時に歯磨き粉を直接つけておくと、ニキビは翌日まで消えてくる。
3.スタイリング・ジェルの代わりに髪にもつけられる(水とともに使用すべし)。
4.第一の用途と同じように、うなじのうぶ毛や背中毛などを抜くのに使えます。
5. 早漏になりがちな男性が性交の直前にあそこにつけておくと遅漏になります。そして、遅漏になりがちな男があそこにつけると早漏になる。

とりあえずこれぐらいかな。
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今日のゼミで

 「おい、外人。この二頁の右から三行目に書いてあるこれは何と読むんでしょ?」と僕が先生に問われて、焦りながらこの文章を見た。 「寿妖は乾坤に付す、丘の祷ることや久し焉。」
 「どれですか」と聞いて、「一番最後だよ。もう早く。皆待ってるぞ」と。
 何だろうなと思って他の20人生徒にじっと見つめられてるのを感じて汗の一滴がポタンとびっしょり濡れた顔から丁度あの文章に落ちてきた。

 「やっぱり終焉の焉なんですけれども、この場合はどのように読みますかはちょっと存じ上げておりません」。

 と言ったら、先生も含めあの21人が一斉に爆笑して、「それぐらい分んないとアメリカに帰ったほうがええと思うぜ」と今まで見方だと思っていた大西さんという生徒が僕をあざけって言って、そして「そうだよ、やっぱりあんた駄目だよ」と先生が付け加えた。

 「では、何と読みますでしょうか」と聞いたら、

 「何と読みますかじゃねぇぞ。あんた自分で調べなさい。アメリカにも漢和辞典いっぱいあるから」と大島さんにそのように命じられた。

 ゼミ終わって三時間後。帰宅して広辞苑に調べたら、こう書いてあります。「焉:エン;YAN; いずくんぞ、いずくにか、いずれ、なに、これ、これより、ここに」というところを見たら、「であろう」・「ね」・「でしょう」とかそういう意味であることが分かりますが、未だ読み方不明。なので、読み方ご存知の方いれば、是非とも教えてください。お待ちしております。


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フセインに絞首刑

フセインに絞首刑

「今日はフセイン元大統領の死刑判決だ。明日はブッシュ。」
という意見を述べる人が多くなっているけど、

この戦争の多くの責任は勿論ブッシュにはあるけど、
ブッシュより咎められるべきものは、このいわゆる

「イラク戦争の建築家」などの、アメリカのイメージで世界を再製せん
とする新保守主義の中心メンバーたち。

ブッシュの訴追はもちろん歓迎するけど、
現在、戦争をしまくっているアメリカのさまざまな問題を

解決するなら根本から始まったほうがいいのではないか
と思っております。

明治・大正時代の文学における主たる人物

石川啄木1886-1912.    『時代閉塞の現状』 (1910)


b. 岩手県。 歌人、詩人。与謝野晶子『明星』に短歌が収録。自然主義に影響されて小説を書く試みをしたが、挫折に終わった。ロシアの無政府主義やプロレタリアー文学にも同情した。多くの国民や知識者が「死刑にされて当然」と思っていた時に、啄木は「大逆事件」から強い衝撃を受けて憤慨した数少なくの一人だったと吉田の「近代文芸評論史、大正編」で指摘される。(正宗白鳥引用文も参照)。

「折蘆は自然主義がなおオーソリティへの抵抗手段たりうるとしたが、啄木は日露戦争後の社会に蔓延する矛盾を、政治・社会・思想の面から「時代閉塞」ととらえ、自然主義が「観照」へ退き、実行と切り離されて「画一線の態度」を決定しては、もはや自然主義にはその時代閉塞をうち破る力はないとした」(千葉、157)。

    *代表的な作品*

新体詩「憧れ」(1905)
歌集『一握の砂』 (1910)
評論「喰ふべき詩」
歌集『悲しき玩具』

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平塚雷鳥。ひらつか・らいてう.1886-1971. 元始女性は太陽であった (1911)

平塚雷鳥。ひらつか・らいてう.1886-1971. 元始女性は太陽であった (1911)


評論家、フェミニスト。女子大。伝えられるところでは1908年に講師の森田草平とともに自殺の計画を立てたそうだ。1911年に『青鞜』を創刊した. 1920年に『新婦人協会』を結成した婦人団体。


 「煤煙事件はスキャンダルとしてジャーナリズムに取りあげられ、らいてうは女の貞操を前提とする家父長制に対峙せざるをえなかった。その後、講師だった生田長江から女性だけの文芸雑誌を作ることを勧められて『青鞜』を創刊」(千葉、175)。


金葉会:「女流文学者を養成する目的で設立された雑誌」(千葉、175)。

評論集『円窓より』
自伝『元始、女性は太陽であった』など。



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内田魯庵. うちだ ろあん. 1868-1929.  二十五年間の文人の社会的地位の進歩 (1912)

内田魯庵. うちだ ろあん. 1868-1929.
         二十五年間の文人の社会的地位の進歩 (1912)


評論家、翻訳家、小説家、随筆家。女学雑誌への投稿。ゾラへの好評。山田美妙を「日本のシェークスペア」と称する。自分が訳したドストエフスキーの「罪と罰」からの影響。文学における社会意識を支持することによって自然主義への先駆けとされる。



坪内逍遥が書いた「小説神髄」ではじまった近代文学の二十五年前間。「それから二十年、雑誌メディアなどの充実によって文学者は職業として成立するようになり、文学は余技的なものではなくなった」。そして大正時代の元年に「文学はいわば国家的事業へと文学が格上げされたのだった」(千葉、192).


批評論「文学となる法」(1894);
小説「くれの廿八日」
自叙伝『思ひだす人々』 (1925).



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大杉栄。おおすぎ・さかえ。1885-1923.    生の拡充  (1913)

大杉栄。おおすぎ・さかえ。1885-1923.    生の拡充  (1913)

「評論家。大正期アナーキズムの代表的理論家・活動家。評論集『生の闘争』『正義を求める心』など」。“Foremost Japanese anarchist of the Taishō period and prominent leftist leader”とドナルド・キーンが指摘。『白樺』への好評。赤旗事件に参加したため1908年に逮捕され、そののち大逆事件を生き抜いたが、関東大震災の際憲兵大尉甘粕真彦(Amakasu Masahiko)により妻とともに殺害。いわゆる亀戸事件となった。


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 「『近代思想』は、大逆事件後の社会主義運動の「冬の時代」に耐えかね、大杉が荒畑寒村とともに大正元年九月に創刊した思想・文芸雑誌。本論は大正二年六月に『近代思想』に掲載された「征服の事実」をふまえ、「生の根本的性質」である「生の拡充」を論じている。。。そして「反逆」とおしての生の拡充にこそ「生の至上の美」が存在する」(千葉、211).


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与謝野晶子. 1878-1942.  母性偏重を排す (1916)

与謝野晶子. 1878-1942.     母性偏重を排す (1916)

歌人、詩人、フェミニスト作家。

b. 大阪。「新訳源氏物語」(1912-13, 1938-9)。「新万葉集」 (1937-8)、6,675人の参加者で作成までは60年間。


「母性保護論争」

「本論では晶子は、トルストイおよびエレン・ケイ(Ellen Key)の母性偏重に異議を唱え、「人間」という視点から、アイデンティティが多様であることを主張した。。。「この論に対し『青鞜』にケイの「恋愛と結婚」を訳載していた平塚らいてうは、晶子のエレン・ケイ解釈が間違いであると反論、晶子もその指摘に納得した」(千葉、220). 二年後にそのいわゆる「母性保護論争」が始まった。


与謝野晶子、右にて。
与謝野晶子、右。

赤木桁平。あかぎ・こうへい。 1891-1949. 「遊蕩文学」の撲滅 (1916)

赤木桁平。あかぎ・こうへい。 1891-1949.  「遊蕩文学」の撲滅 (1916)


夏目漱石の門下生。
近松秋江の「再婚」の直後に書かれた。



「。。「遊蕩文学」は、「読者の低劣なる興味に迎合」しようとするものであり、「内部生命」を深く感動させるものとはなり得ない。したがって、「撲滅」しなければならない、と赤木は道徳的義憤に駆けられ声高に主張した。吉井勇・久保田万太郎・近松秋江ら具体的な作家名をあげ、戦闘的な文体でセンセーショナルに「撲滅」を唱えた赤木の論は、文壇の注目するところとなり、「遊蕩文学撲滅論争」を惹起する」(千葉、236).

生田長江。いくた・ちょうこう。 1882-1936.

生田長江。いくた・ちょうこう。 1882-1936.

               自然主義前派の跳梁(ちょうりょう) (1916)


評論家、翻訳家、小説家。ニーチェの影響。女性解放主義者。社会に対する関心があったが、社会主義に対しては批判。ニーチェやマークスの翻訳。欧米近代文学とりわけフロベールからの影響。佐藤春夫が門下生のなかの一人。時代の最初に書かれた作家論(硯友社小説家小栗風葉についての評論、1906)。それから近代において彼が最初の、日本現代小説家を中心的に処理する評論家だったとされる。


『白樺』論争」:自然主義とくに武者小路への批判し、日本の自然主義者はまだ本格的な自然主義になっていないと判断。要するに「。。長江は白樺派、とりわけ武者小路実篤の「オメデタイ」理想主義を批判し、実篤らは「自然主義思潮の洗礼を受けて来ていない」「自然主義前派」だと決めつけた」(249、千葉)。


『私小説論争』: 私小説家への判断。

「文壇の新時代に与ふ」(1925)の中に『新感覚派』へも批判。
「最近の小説家」(1912)、当時の作家についての感想や批評。


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折口信夫。おりくち・しのぶ。1887-1953.  異郷意識の進展  1916.

折口信夫。おりくち・しのぶ。1887-1953.  異郷意識の進展  1916.

b. 大阪。国文学者、歌人、詩人。『アララギ』詩歌の同人雑誌の一員。
柳田国男とともに民俗学の独自の発展をとげた。そして、日本人の根本的な特性を探求するには古代を勉強すべしと忠告。 またドナルド・キーヌのことばを借りて折口は “celebrated scholar of the ancient Japanese heritage” (Keene, 708)と.


「明治末から大正にかけて、耽美主義とよばれる文学は異郷趣味に彩られていた。パンの会を結成し、『スバル』の中心となり、『屋上庭園』を創刊した北原白秋や木下リン太郎らの紡ぎ出す言葉は、何番趣味や江戸趣味に充ちていた。『三田文学』を主宰した永井荷風は「江戸芸術論」の作者でもあった。谷崎潤一郎や佐藤春夫らはシナ趣味を享受していた」(262).


論文集『古代研究』 (三巻、1929-30).

歌集『海やまのあひだ』 (1925).
『古代感愛集』1947.

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武者小路実篤。むしゃのこうじ・さねあつ. 1885-1976. 新しき村に就て(1918)

武者小路実篤。むしゃのこうじ・さねあつ. 1885-1976. 新しき村に就て(1918)

 小説家、劇作家、詩人、素人画家。白樺の同人。ドイツ文学・トルストイ・メーテルリンク・聖書などからの影響。日本文学者ドナルド・キーンのことばを借りれば武者小路は確かに “pompous and naïve”の作家だが、白樺の同人として重要な人物 だとは否めない。戦争協力に力を尽くしたため、戦後、アメリカの占領軍の当局に文壇から追放された。戦後の小説「真理先生」(1949-50)で復活した。


 雑誌『新しき村』を創刊。調和的な共同体の理想実現のため、1918年九州の宮崎県に建てた生活共同体の村。出来て間もなくほぼ300人が「新しき村」に生活し、1926年に全員移転。自然主義の運命論に対して非難し、人間運命に影響を及ぼせる自由意思をつよく主張。

「共同共生の理想社会建設のための運動に乗りだした。。」


小説「お目出たき人」 1910 (『白樺』創刊同年).
「或男」(1921-3)(『改造』に連載)
「幸福者」(1919)
「友情」 1920.
「人間万歳」1922.

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佐藤春夫への紹介     創作月旦 (抄) (1919)

   創作月旦 (抄) (1919)

佐藤春夫(1892-1964)は和歌山県の生まれで、詩人や小説家であった。大学は慶応で、あそこで永井荷風に知り合って門下生となった. ワイルドの翻訳。谷崎の文学が知的内容に乏しいと主張 (Keene 2, 577). 志賀直哉への絶対的な好評。


 菊池寛の印象的批評への批判に対して、佐藤春夫が反論。いわゆる「印象批評論争」となった。「菊池寛は「現代の創作批評界を見ると、文芸上の教養も浅く鑑賞力も低い人迄が、印象批評の看板の蔭に隠れて、勝手な事を云って居る」ような状況をとらえて、印象批評の弊害を説いたが、佐藤は「批評というものは作者を批判するものでもなく、読者を誘導するものでもなく、結局批評家彼自身を披瀝するもの」といい、批評家自身を最もよく表現するものとして「印象批評」を擁護した」(千葉、278).


「愚者の死」(1911)。 明治天皇の未遂暗殺・政治的正義を巡って青春の社会主義者の登場人物を語る小説。
「純情詩集」1921。
小説「田園の憂鬱」 1919
散文詩「都会の憂鬱」1922.

「歩きながら」(1914)の作品に「意識の流れ」の流行を先駆けとなった。“One of first to introduce Freudian psychoanalysis in fiction ,with the highly acclaimed Kōseiki (1929, Chronicle of Rebirth)” (Keene).

「この三つのもの」(1925-6): 谷崎との小田原事件を巡る小説。
「退屈読本」 (1926)、現代小説を営利的な文学だと非難し、優越な随筆。

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永井荷風。1879-1959.     花火  (1919)

永井荷風。1879-1959.     花火  (1919) 

小説家、随筆家。1898年、広津柳浪の門下生となった。フランス文学とりわけゾラからの影響。1903年、アメリカへ遊学。1910年、慶応大学の文学教授となり、同年に『三田文学』を創刊。二回の結婚が挫折に終わった。


1910年の「大逆事件」を巡る随筆の「花火」。「。。アレイ化・フランス遊学から帰国した荷風は、「新帰朝者日記」「すみ川」「冷笑」など文明批判的要素の強い作品を書いて、西洋文化の表面的な模範でしかない日本の近代化をきびしく批判、次第に江戸文化へ親炙していった」(千葉、286)。


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中野秀人。なかの・ひでと。1898-1966.  第四階級の文学 (1920)

中野秀人。なかの・ひでと。1898-1966.  第四階級の文学 (1920)

詩人、画家、評論家、小説家、戯曲家。1898〜1966。福岡市生れ。慶大高等予科中退後早大政経学部中退。「文章世界」に『第四階級の文学』を発表。プロレタリア文学理論の先駆となる。詩人、画家、劇作家など広い分野で活躍。「エクリバン」を創刊。中野正剛は実兄」。

「民衆芸術論をプロレタリア文学へと接続させる役割を担った」人物とされる。「第四階級の文学」は「。。プロレタリアートの文学をはじめて問題化したものである」(千葉、298)。

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菊池寛。1888-1948. 文芸作品の内容的価値 (1922)

菊池寛。1888-1948. 文芸作品の内容的価値 (1922)

b. 四国の香川。小説家、劇作家。大学時代、東大の寮生に泥棒だと疑われ、京都大学に転学した。1923年に、流行していたマルクス主義の作者を反抗して『文芸春秋』を創刊。芥川賞と直木賞を創立。「文壇の大御所」と呼ばれる大人物。菊池寛の戦争協力のため、戦後に彼がファシストと非難される。


『内容的価値論争』。里見じゅんvs。菊池寛。

論旨:このような芸実的価値のまったくない作品が僕をこんなに感動させうるのがなぜだろうという疑問から始まり、そして彼の解決は、文学には、芸術的な価値以外の価値もあるからといって、要するに、「「文芸作品の内容的価値」は、「里見ジュンの「文芸管見」を念頭に書かれたと思われる。菊池は、文芸作品には「文芸的価値」とは別にもうひとつの価値があると述べ、それを「内容的価値」とした。それは題材そのものがもっている道徳的価値、思想的価値であり、「我々を感動させる力」である。。。「私はどんな芸術でも芸術だけでは、満足しない」」(千葉、315)。


新聞小説「真珠婦人」大人気小説となった。
小説「父帰る」(1917).


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有島武男。1878-1923 (愛人との心中自殺).  宣言一つ (1922)

有島武男。1878-1923 (愛人との心中自殺).  宣言一つ (1922)

小説家、評論家。

b. 東京。学習院。「白樺派」の同人。共産主義への同情もあったが、自分の生まれ育った身分・階級のため、本格的協力が不可能だと主張。要するには、「。。第四階級はもはや学者や思想家による代弁を必要としていないと考えた。したがって第四階級以外の階級に生まれ育ち、教育を受けた自分には、第四階級を代行することは不可能であり、「私の仕事は第四階級者以外の人々に訴える仕事として終始する外はあるまい」と断言した。これに対し広津和郎が、文学はブルジョアにもプロレタリアにも属するものではなく階級を超越したものであると述べ、有島の「窮屈な考え方」を批判した」(千葉、306)。しだいにさまざまな文人が参加し『「宣言一つ」論争』となった。

「惜しみなく愛は奪う」1920, “grand summary of thought.” ベルグソンからの影響のélan vetal。


「或る女」(1919).
「カインの末裔」(1917). 有島の文体に関して芥川が“like a phonograph record, makes me want to hear the real thing”(Keene)と揶揄した。

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広津和郎。ひろつ・かずお。 1891-1968.     散文芸術の位置  (1924)

広津和郎。ひろつ・かずお。 1891-1968.     散文芸術の位置  (1924)


小説家、評論家。早卒生。父は作家の広津柳郎。“Effective, moving essayist and critic” (Keene)。Russian and French translations. 白鳥・抱月からの影響。ニヒリズムへの傾向。トルストイを厳しく批判。志賀直哉への好評。1930年代の前半、プロレタリアー運動への同情。


「散文芸術論争」   生田長江 vs。 広津和郎と佐藤春夫




「。。散文芸術は「人生と直ぐ隣り合せ」に位置するものだとし、他の芸術との差異を人生との近さという点に求めて、その特質、価値を積極的に認めていくべきであると主張」(千葉、325)。


「神経病時代」(1917)。時代を語る短編小説。
「泉への道」(1953-4)『松川事件』容疑者を弁護する。

千葉亀雄。ちば・かめお。 1878-1935.    新感覚派の誕生 (1924)

千葉亀雄。ちば・かめお。 1878-1935.    新感覚派の誕生 (1924)

評論家、ジャーナリスト。b。山形県。


「関東大震災の翌年、新しい文学の出現を告げるふたつの雑誌が創刊された。ひとつはプロレタリア文学運動の拠点となった『文芸戦線』であり、もうひとつは横光利一、川端康成らを同人とした『文芸時代』である。。。ジャーナリスティーックな感覚をもった千葉は、そうした『文芸時代』の動きを的確にとらえ、これを「新感覚派」と命名」(千葉、335)。

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久米正雄。くめ・まさお。1891-1952.   「私」小説と「心境」小説 (1925)

久米正雄。くめ・まさお。1891-1952.   「私」小説と「心境」小説 (1925)


小説家、劇作家. 長野の生まれ。東大生.

“Participated in literary coterie that published the magazine SHINSHICHŌ” (Keene).



「私(心境)小説論争」。久米正雄 vs。生田長江・中村武羅夫

「私小説や心境小説の安易な身辺雑記的傾向を批判し、本格小説を唱導した中村ムラオや生田長江に対して、久米正雄は「私」を如実に表現した心境小説こそ散文芸術の真髄であると主張、本格小説を通俗小説と一蹴した。この議論は、宇野浩二、芥川龍之介、佐藤春夫らも巻き込み、『新潮』で「心境小説と本格小説のの問題」特集が組まれるほど大正末期文壇の関心を集め、いわゆる「私(心境)小説論争」を惹起した」(千葉、346)。


劇曲「牛乳屋の兄弟」(1914)。
メロドラマの「月よりの使者」(1933).

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青野季吉。あおの・すえきち。1890-1961.   自然生長と目的意識 (1926)

青野季吉。あおの・すえきち。1890-1961. 

  自然生長と目的意識 (1926)



評論家。 b. 新潟。早稲田。『種蒔く人』に参加。 活動的共産主義者。『文芸戦線』にも発表。

レーニンの『何を為すべきか』における社会分析を説く『自然成長と目的意識』(1926)。1938年に起こった人民戦線事件以来、政治活動が制限された。戦後、『日本文芸家協会』の会長となった。

「彼自身の訳によるレーニン『何を為すべきか』の影響のもと、プロレタリア文学および文学運動に、徹底した社会主義的目的意識を浸透させるべく構想され、その提唱は大きな反響を呼んだ」(千葉、379)。


「調べた芸術」(1925)
「転換期の文学」(1927)
「文学五十年」(1957).



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Random Notes on Tanizaki

なぜ谷崎を決めたのだろう? 「76もの谷崎の作品がヨーロッパの言語に翻訳されていること、翻訳の総数は263点、17言語にのぼることがわかった。さらに本書には223もの谷崎研究をあげてある」(Tanizaki in Western Languages, はじめに)Keene quote. Personal reasons.


6 Ways of Looking at Tanizaki

  1. Escape from the Mundane. Seeking refuge from reality in the past, in dreams, in Fantasy, Classicism, the Exotic, and Fetish. opposition to Naturalism, anti-genbunitchi.

反現実派の谷崎:平凡からの逃走 (see #1)

1.江戸時代文学

2.現実主義や自然主義の輸入。

森鴎外。二葉亭四迷。坪内逍遥。

3.自然主義から耽美主義へ (see Suzuki 165).

西洋のロマン主義と 江戸文化.

4.谷崎のエキゾチックの追求

西洋から江戸へ。

谷崎と 江戸の魂 (see 113 of 谷崎読本).

オリエントとしての江戸。平安時代はエジプトほど遠い。

5.谷崎の「金色の死」(1914), 「魔術師」(1917)

6.村上龍との比較。平凡からの逃走。

 フェティシズムとしての西洋。谷崎における西洋。(see #1)

Shōnen, also Yōshō jidai.

1.細雪のストルヅ家

「蓼食う虫」のルイス

2.西洋に関して、関東大地震以前の谷崎とその後の谷崎

3.「痴人の愛」下品な欧米。大衆文学。

4. 下品礼賛。多種類の下品なこと。

江戸大衆文化からの影響。

西洋大衆文化への反動。

痴人の愛。欧米大衆文化を崇拝することの批判。

「細雪」の姉妹たえこ。

「夢の浮橋」における近親相姦(1959) See Ken Ito.

言文一致活動に対しての反動する谷崎と芥川。(see #1, 4)

1.芥川の「文学的あまりにも文学的」。

 語るように話すじゃなく話すように語る。

2.谷崎の捏造(ねつぞう)への賛美。

3.谷崎の 現代口語文の欠点について (1929). 「である」は話し言葉なの

か?(see Suzuki’s Narrating the Self).

2. In Praise of Light

3. Shifting Female Ideals.

Lippit: femme fatale—doll—departed mother—noblewoman behind screen

1.「蓼食う虫」のルイス

III. 谷崎における手弱女振り(たおやめぶり)(femme fatale-white doll/whore-naki haha-classical woman behind screen; all occasionally bosatsu) see #3

doll

「痴人の愛」の奈緒美。

「蓼食う虫」のOHISAShigemoto’s mother. Lily in “Neko, Shozo, futari. .”

Tanizaki the epistemologist (sensory perception/platonic ideas/woman as the world)

Also:

2.原稿としての女。

「痴人の愛」のナオミ。「刺青」

3.ミューズとしての女 (see Suzuki 150):

「墨東奇談」の僕とお雪

「痴人の愛」のナオミ

二葉亭四迷多迷・夏目漱石・有島武男の啓蒙された女に対する反動

現代男性のモダンガールへの憧れを非難するジャンル (168-9).

Nezo Matsuko as muse in Mōmoku, Shunkinshō, . . .

4.母型及び娼型及び菩薩としての女。そして崇拝者や甘えん坊としての男

声望としての母

「蓼食う虫」over-done. use this approach with different novel.

4. Plato’s Idealism Meets Edo Eroticism

Tanizaki the epistemologist (sensory perception/platonic ideas/woman as the world)

tanizaki’s epistemology: Types in Buddhism and Platonism; language as false distinctions.

5. Directors, Cooks, and Clowns: Artists and Artisans as Heroes in the Roundabout Discourse on Art. Tanizaki Plays Himself.

作品を芸術評論文として、評論を作品として。(#4)

 自分を演じる谷崎 (#4)

1.小説を書きつつある作家の日記というジャンル

永井荷風の「雨ショウショウ」と「 墨東奇談 (1937)

芥川龍之介の「 歯車」

谷崎潤一郎の「 秘密」。。。

Kansakamangansui no yume, etc.

2.擬似の誠実:ものをありがままに語るというテクニック。

「痴人の愛」 「異端者の悲しみ」「母を恋うる記」

永井荷風 (see: Suzuki, 147-8)

3.架空としての真実、真実としての架空 「嘘でないこと面白くない」

谷崎の「私]

風刺的自画像:

芥川の「地獄変」

谷崎の「痴人の愛」「フウテン老人の日記」「蓼食う虫」など

永井荷風の「墨東奇談」における真我という概念の批判

(see Suzuki’s “Bokutōkidan”)

6. Voices in His Head: Polyphonic Music of Sasame yuki and Manji.

「卍」における多声。意識の流れ。多声音楽としての谷崎作品

other ideas:

文学におけるぱっくり。

吉行淳之介論。

Mappōshisō and eschatological literature

Tuesday, January 23, 2007

BWV 861 — Well-Tempered Clavier, Book 1: Prelude No. 16 in G minor

BWV 861 — Well-Tempered Clavier, Book 1: Prelude No. 16 in G minor, performed by amateur pianist (keep in mind!) Ryan Morrison at Wakeijuku in Tokyo, to an empty hall.

Poor Attempt at Imitation of Glenn Gould: Johann Sebastian Bach Book 1: Prelude D major

Johann Sebastian Bach, BWV 853 — Well-Tempered Clavier, Book 1: Prelude No. 5 in D Major, performed by Waseda 早稲田 University student, Glenn Gould enthusiast, and amateur pianist (keep in mind!) Ryan Morrison at Wakeijuku in Tokyo, to an empty hall. Attempted in the manner of the great Canadian interpreter of Bach, Glenn Gould.

Saturday, January 20, 2007

"In Praise of Limestone"

W.H. Auden`s "In Praise of Limestone" (Take 2), read by Beholdmyswarthyface.

Thursday, January 18, 2007

Johannes Brahms: Rhapsody, Op. 79 No. 1 in B minor. Agitato

Here's the first part, which I learned many years ago. I can't get a hold of the sheet music at the moment, so here's what i remember. Lots of mistakes, sloppy playing, and I stop in the middle-- so bear with me.

Thursday, January 4, 2007

Letter

This just in from Cniva Albinus:
お久しぶりです。

夏にお話を聞かせていただきましたCniva Albinusです。その節は、面接に応じてくださりありがとうございました。

12月に申請する予定で大学院入試の募集要項を入手しました。出願書類の一つ、「修士の学位論文又はこれに代るもの」の提出について教えていただく思い、メールいたします。

2004年にアリゾナ州立大学で提出した修士論文は、高橋新吉(1901-1987)の詩や1920年代の日本におけるダダについてだったのですが、2004以降、早稲田大学と上智大学において研究しつづけてきた、そしてこれからも続けていくと考えている研究対象は石川淳の文学ですので、かつての高橋新吉についての修士論文を提出するよりも、現在書きつつある、いわゆる「Graduation Project」(石川淳の「江戸人の発想法について」の英訳とそれに関する論文)を出した方が相応しいのではないかと考えております。

現在在学中の上智大学大学院では、正式な修士論文を書かないで3月に修了する見込みです。グローバル・スタディーズでは修士論文を書いて卒業するか、「Graduation Project」を書いて卒業するかを選択できます。最初から書かないことを選択もできますし、書くことを希望しても認められない場合もあります。

私は、当初は書く予定でいたので、プロポーザルを提出し、それについてのディフェンスも合格し、書くことを認められました。

しかし、夏休み中に東京大学の博士課程に進むことを決心したので、現在の指導教官の先生とも相談し、上智大学で英文の修士論文に取り組むことよりも、日本語である程度まとまった量の論文を書くこと、そして、私の現在のプロジェクトの最も大事な部分とも言える、石川淳の作品の翻訳に集中することにしました。正式な修士卒論だと英語でなくてはならないので、「Graduation Project」に変更しました。

よって、12月の申請時に、現在執筆中の日本語の「Graduation Thesis」を提出しようと思いますが、募集要項で言う「修士の学位論文又はこれに代るもの」として認めていただけるでしょうか。

宜しくお願いいたします。