
こんばんは、 ブログで修士論文の研究計画を拝読致しました。
やっぱりBeholdmyswarthyfaceさんも谷崎を扱う予定なのはちょっと意外でした。それから、文章の日本語レベルは相当高くて、びっくりしました。日本人の助力を得ずに書かれましたか? 幾つかの感想あったので、ここで研究項目の順を追って述べさせていただきます:第一。 ディテールだが、『青塚氏の話』は初期小説とは言いがたい。むしろ中期と言ったほうが好し。* 自然主義なる流派は、ただ表面的なことのみを扱い、内面的な要素に触れないと言えるか多少疑問である。
第二。『陰翳礼讃』(因みに、Beholdmyswarthyfaceの書き方に誤りがあった)をパロディーとして読めることに異存がないが、それを『少年』や『黄金の死』で論証することは困難なものがあると思う。なぜなら、谷崎の文学が明治末期大正初期の作品と昭和8年の間に色々と変容や展開を示しているからだ。
第四。これは特にコメントではないが、『早春雑感』という小説を知らなかった。Beholdmyswarthyfaceは本当に数多くの作品を読んでいらっしゃっているなぁと感動しました。
第五。「「私小説」を嫌っていると考えられていた谷崎が、本質的には、芸術家としての彼自身を主人公として登場させる物語を繰り返し書いていることを明らかにしたい。」とBeholdmyswarthyfaceは書いているが、谷崎自身と主人公を全く一緒にすることを慎んだほうがいい。無論取り上げた作品の主人公達は谷崎自身と多くの共通点を持ち、それを研究することは非常に興味深いと思われるが、以上の言い方だけをちょっと改めればと存じる。それから、こういう論を立てるなら、『饒太郎』という作品もとても面白いと思う。 最後に、Beholdmyswarthyfaceの説明した研究計画を読んで、つくづく思ったことは、すべて頗る興味深いがその幅が広すぎるのではないかなということでした。五つの項目もすべて、その一つだけにしても、もう修士論文にできる質を持っていると思う。もう少し範囲を小さくしたほうがいいのではないかね。。 求められてもいないのに、勝手なコメントを投げかけて失礼致しました。
ご参考までに、 ミハエル
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