Sunday, May 11, 2008

明治・大正時代の文学における主たる人物


Notes on 坪内逍遥。1859-1935。    『小説神髄』(1885-6)

b。名古屋の近く。小説家、評論家、劇作家、翻訳家、教育者。

評論へ強い影響を与えた翻訳『シェークスピア全集』(1884-1928) を執筆。『早稲堕文学』を創刊・主宰(1891-1898)。現実主義をあくまで提唱。「幼少期より親しんだ近世文学の素養に西欧の文学論を学んだ逍遥は、「美術」としての文学の自立を説き、現実世界における人間の内面真理を客観的に模写する小説を近代文芸の中心に据えて、荒唐無稽な脚色から脱却することを主張」(千葉、日本近代文学評論選. 明治・大正篇、7)。

「二葉亭四迷(正岡子規・山田美妙らも入れてもよい)に創作の筆をとらせたばかりか、尾崎紅葉、幸田露伴らによる西鶴の再評価にも及ぼし、創作における人間心理の洞察を深化させた」(千葉、7)。

ドナルド キーンは、坪内逍遥の文学理論を実践した小説のなかで「当世書生気質」(1885)は最も成功したと主張。

鴎外との論争(1891-2)は、 近代文学の最初の本格的論争となった、いわゆる『没理想論争』だった。「理想」の意味がお互いによって定義の食い違いがあったせいか、論争が無解決に終わった。

半分 雅文半分口語の文体で書かれた『小説真髄』では、小説のジャンルを二つに分けられると主張。第一は、説教的小説。それから西洋文学に学んだ「人間の内面真理を模写する」ことを目指す美術小説は第二。第三目は、あいにく覚えておらぬ。

勧善懲悪に対して逍遥は抵抗し、本居宣長(1730-1801)の『玉の小櫛』を引用しながら「人生の批判と見るべき」ことと物のあわれを伝えるべきこと、その二つの役をすべき 後者の方を最上級と提唱。馬琴や江戸の戯作などを俗と批判。当時に発表された「新体詩抄」とEugene Veronの「L’esthetique」からの影響も見られる。

『小説神髄』の冒頭を引用します。

「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の情慾にて、所謂百八煩悩是れなり。 夫れ人間は情慾の動物なれば、いかなる賢人、善者なりとて、未だ情慾を有ぬは稀れなり。賢不肖の辨別なく、必ず情慾を抱けるものから、賢者の小人に異なる 所以、善人の悪人に異なる所以は、一に道理の力を以て若しくは良心の力に頼りて情慾を抑へ制め、煩悩の犬を攘ふに因るのみ。されども智力大いに進みて、氣 格高尚なる人に在りては、常に劣情を包み、かくして其外面に顕さゞれば、さながら其人煩悩をば全く脱せし如くなれども、彼れまた有情の人たるからには、な どて情慾のなからざるべき。哀みても亂るることなく、楽みても荒むことなく、能くその節を守れるのみか、忿るべきをも敢て忿らず、怨むべきをも怨まざる は、もと情慾の薄きにあらで、其道理力の強きが故なり」。

それから同じエッセーからの、写実主義についての引用を載せます。

「社会の現実および事物の実際をありのまま描写しようとする芸術上の立場。わが国では近世の井原西鶴、式亭三馬、為永春水などの文学にもそ のような特徴はみられるが、特にヨーロッパの写実主義の影響は明治二〇年代に顕著であり、坪内逍遥、二葉亭四迷、尾崎紅葉、樋口一葉などの小説にみられ る」。

そして最後に「没理想論争」(“submerged ideals”)に関する文書も引用します。

「理想や主観を直接表さないで、事象を客観的に描くのを主とすること。また、そのような態度で描かれた作品の特質。明治二〇年代に坪内逍遥がシェークスピアの作品をそのように規定したことに対して、理想派の森鴎外が論争をいどみ、いわゆる没理想論争が展開された」。

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