Friday, May 9, 2008

明治・大正時代の文学における主たる人物

Notes on 島村抱月。しまむら・ほうげつ。1871-1918.  「観照即人生の為也」(1909)

 b. 島根県の貧民で。1902年から1905年までヨーロッパで留学し、そのうち欧米文化・芸術に関する批評や記事を日本新聞に何度も投稿。帰国後、早稲田大学の教授になって、田山花袋の「布団」を好評、自然主義派の同人となった。ダンテにも影響された。ドナルド・キーン氏は、抱月は “Best known critic of late Meiji” (Keene Vol2, 531)だとしている。

坪内意逍遥の門下生であった。逍遥とともに研究団体「文芸協会」(1906-1913) を組織。

晩年に、愛人松井須磨子とともに現代演劇を支持する「芸術座」を組織。須磨子との熱烈な恋愛の話が流布。

早稲田大学で身につけた西洋小説用の批評基準を用いて、西鶴の作品を構造に乏しいと批判したが、西鶴の活発な描写や語りを称賛。島崎藤村の『破壊』も好評する。

「『近代文芸之研究』の表紙に刻印された「在るがままの現実に即して/全的存在の意義を髣髴す/ 観照の世界也/ 味に徹したる人生也/ 此の心境を芸術といふ」という言葉に尽きており、本論の主張とも重なる」」と(千葉、138)。

『乱雲集』短編集 は明治39年に発表。

随筆「囚われたる文芸」(1906)は、ヨーロッパ文化の頽廃・衰退を考慮した上、近代科学の鎖に囚われた自然主義への挑戦。 自然主義の代わりに表現主義を提唱。

批評「自然主義の価値」(1908-9)では『金色夜叉』と『多情多恨』に注目して尾崎紅葉の文学を内容に乏しいと批判。

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