Thursday, August 13, 2009

Rebecca Brown's The Dogs: A Modern Bestiary

This just in from Sally Suzuki. The topic: Rebecca Brown’s 1998 novel The Dogs: A Modern Bestiary (or, 犬たち in Japanese). She wanted me to mention that she was unable to complete the last section of the article— the part about the 作中の主体論— due to the time constraint.  -Beholdmyswarthyface
レベッカ・ブラウンの『The Dogs: A Modern Bestiary』(1998)は、詩的小説および小説的小説その両方として読むことが可能な珍種の作品である。ここではこの小説における詩的要素を修辞法として捉えて分析し、そしてその詩的な語りの裏に潜んでいる主体論ごときものを前面に出して分析する。
読者にとっての一つの大きな問題は、ストーリーのことをすっかり忘れてまで作品の詩的要素に取り憑かれてしまう、という点にある。しかし、この「詩的要素」と 感じられるものは具体的に何なのか。これをより正確に把握するために、まず本作品における形式と内容について触れておきたい。
形式と内容を完全に分離できるかどうかは、文学理論で激しく議論されてきたおそらく解決不可能の問題ではあるが、便宜上ここでは可能だとして、『The Dogs』 を形式と内容に大きく分けてみよう。まず、この作品の主題は何なのか。私が思うに二つの大きなテーマがある。一つは過去の経験(特にトラウマ的な経験)が いかに現在の精神状態を支配しているかということであり、もう一つは、恋愛(つまり執着、嫌悪、支配欲、依存、欲望、淫乱などの不愉快な要素も含めてより 生々しい意味での「恋愛」)の徹底的な再評価である。他者をどこまで知りうるのか、知っていると思った対象はどこまで自己陶酔的な投影に過ぎないのか、な どの問題を踏まえながら「恋愛」の見直しを試した作品として『The Dogs』を見ていいのではないかと思われる。
この小説で描かれている主人公と犬たちの関係は、あらゆる人間関係の換喩(つまり、普遍から抽象された特殊)として見てよかろう。つまり、自他関係において人間の種類は二つしかない。『The Dogs』 的に言えば、人は「犬」か「わたし」かそのどちらかである。犬に執着してしまう「わたし」にとっては「恋愛」という事実は決して甘いものでも感傷的なも のでもなく、むしろ身を危うくする強烈極りない恐ろしいものである。そして、相手に何を求めるかはある程度過去のトラウマによって規定される。
こ の二つのテーマ(つまり過去のトラウマによって動かされることと「恋愛」の見直し)は決して軽くはなくむしろ深刻な課題であるにもかかわらず、これらを描 くのに採用される形式は却って軽くて遊戯的である。ただし、これは矛盾だと批判的に決めつけるのは早急であり、むしろこの形式と内容のズレがあるからこそ『The Dogs』はいかにも成功した作品だと認めねばならない。いくつかの例を挙げながらこの作品における修辞的技巧(つまり、多声法、非文法的な表現、文学的な拙文、非慣用語法、不条理的な曖昧化、反漸層法、冗長性迂言法、等)を考慮していこう。
The Dogs』 の文体と言えば、まずそれは一定した形ではないと指摘したい。ポストモダン文学の特徴とされるパスティーシュを彷彿とさせるようなこの文体はむしろ多声的 であり、つまり、同じ一人称の語りの中にも複数の声・文体・文式が同時に混じり合っているのである。それぞれの声はさまざまなレジスタであり、折に触れ て同じ段落あるいは同じ文書の中でも複数の声が聞こえてくる。砕けた口語体(the demotic)と公式的な言語や文語(the formal or literary)が両方同じテキストに存在し、混ざっている例もいくつかある。
次に、「I thought if I could turn around, make charity from need, I could release.」や「I thought if I could tell.」に見られるように非文法的な文もしばしばある(27)。モダニスト文学以降、非文法的な文は頻繁に使われてき、ブラウンの使い方は多少独特のようである。新しい感覚を読者に与えるため文法を目茶苦茶にしたG. ス タインたちと違って、ブラウンはむしろ言語化される以前の精神活動そのものをありのままに再現せんとするのである。そして、その精神状態をよりリアルに描 写するために言語を限界まで押し広げる必要があるので、上記の例のように他動詞が自動詞として使われたり、13頁にある「She disappeared me bit by bit」の例のように逆に自動詞が他動詞として使われたりする(13)。日本語単語の「放心」のように英語の「release」 を使いたがるブラウンは、なぜこの動詞が目的語を伴わなければならないのかと疑問に考えたようだ。より広く言えば、この疑問は、自分の言語で表現できない 現象というのが実際にあるならば、沈黙に託しておくよりも、どうにか的確な表現で伝え得る方法を作らなければならない、という挑戦でもあるだろう。[1]
The Dogs』 の文書はある意味で「ぎこちない」に違いない。しかし、これを欠点として見るわけにはいかない。作者本人が東京大学における講演において説明したように、 ジャーナリズムや大衆文学の世界で「優れた文書」や「名文」と規定されるものに対してブラウンはあえて「つたない」文書を書くことを目指す。確かに今さら 定義的な「名文」を真似て書いた作家は逆に時代遅れに感じられる気がするので、やはり現在「文学的」とされるものは「名文」より「拙文」に近づいて来た のではないかと考えられる。この「ぎこちなさ」をより正確に把握するためいくつかの例を見てみよう。
第一章に「It felt so good to do the perfect, right surprise」という文書がある (17)。誰でも分かるように「do a surprise」という表現は慣用語法ではない。それに加えて「surprise」という名詞に形容詞の「perfect」と「right」を両方つけることで文書が更に不自然になる。「perfect surprise」と「right surprise」は両方とも普段使わない表現であり、作者が両方を並行させることで不条理的なところまで至らせるのである。しかし、このような文はこれ以外にもたくさん例があり、この技法を『The Dogs』の文体の特徴として「不条理な難解化」(absurdist obfuscation)と呼んでおこう。
次に「反漸層法」anticlimax)が見られる場合は少なくない。例えば「One day when I walked home from work there was a butcher’s shop (21)という滑稽な例から、ブラウンが読者の期待をいかにうまくはぐらかせるかが見えてくるだろう。つまり、「One day when I walked home from work . . .」まで読んだ読者は、述語の部分で何らかの出来事が起こるだろうと期待し、まさか「肉屋さんがあった」だけの平凡な描写で終わるとは思ってもみない。次に、「She whined like a baby and then like a boy」で見られるような冗長性(Diffuseness)という技法も少なくない(23)。直喩や比喩が余計なところまで無理に延ばされてしまうことで「名文」的な比喩は一体何なのかと読者に改めて考えさせる。普通の場合では「like a baby」で終わる平凡な文はここで「and then like a boy」まで伸びてしまうと、独特な面白みが現れてくる。器用より不器用な比喩の方が斬新で面白い、というような時代に我々は生きているのではないだろうか。
次に、迂言法(Periphrasis)という修辞技法もある。一つの例は「He [i.e., the butcher] looked more like a doctor than the thing he really was」であるが、ここで最も簡潔で自然な表現「than a butcher」が避けられており、その代わりにくどい表現の「than the thing he really was」に置き換えられている。(22)。他に類例を挙げると「We put our mouths against each other and opened them」という文書もある。ここでは「we kissed」というごく普通の言い方を使わずに作者は置き換えとしてくどい即物的な表現で同じ意味を伝える(102)。この置き換えることによって「セックス」というありふれたものに新しい生命を吹き込み、読者に新しい目でエロスを見させることができるのであろう。これはまさにB. ブレヒトの「異化効果」(Verfremdungseffekt)にも類しているのではないかとも考えられる。
私 は、決して適切とは言えないかもしれないが他の表現がみつからず、ブラウンの文章のどこかにユダヤ文学的な性質が感じられるのではないか、とブラウ ン本人にぶつけてみたところ、「私は全くユダヤ人の血を引いていないけどこれ程褒められたことは今までない」という答えが返ってきた。ユダヤ人ではないに しても、何かユダヤ的な(すなわちF. カフカ―G. スタインなどの)影響を受けているところがあることは否定できない。一般的に言えばブラウンのユーモアの感覚や冗談の言い方が一貫してユダヤ的だと言っても過言ではないだろう。『The Dogs』におけるこのユダヤ文学的な要素は具体的に何なのか見てみよう。[2]
まず、G. スタインの名作『Tender Buttons』と同様に『The Dogs』はシニフィアンとシニフィエの乖離を読者に暗に示す作品である。『The Dogs』は『Tender Buttons』と違ってあらすじがあるにしても、言葉とその指すはずのものの間に大きなズレがある、という点でG. ス タインの作品に類似している。そのズレは、個々の言語は事物と何の関わりもない閉鎖されたシステムである、という意識から生じており、そしてそのシステム は外界の物質と一切接触しないがゆえに、作者は真理を伝えるという束縛的な義務から解放されたところに作品を言語的な遊戯として創作できる。その意識はスタ インと同じほどブラウンにあるのだ。
昭和十年代から二十年代までの日本におけるモダニズム文学では「自意識の対象化」は基礎的な技法の一つだったが、それと同じようなことがまさに『The Dogs』にも行われている。いくつもの例があるが、特に「自意識の対象化」が顕著に見られる場面は第六章の作中劇にある(40-8)。この場面において主人公が自分自身をもう一つの視点から見ていることが描かれ、そして主体そのものが二つの視点に分離されてしまうのだ(例えば「I try to get away from her」などの例に見られる)(51)
主体が二つに分離してしまう例の他には、主体と対象が合体する例もある。つまり、この作品では、主体と対象を二項対立にしたデカルトの二元論が次第に曖昧化されていくとともに自他が融合していく。伊藤整(1905-1969)の『幽鬼の町』(1937)の「もう一人の私」のように、ブラウンの主人公は自分以外の自分を発見する。しかし、この「もう一人の私」は他者として見るべきではなく、むしろ分裂された自己の一部であると考えられる。
主体というものはつねにすでに外界の中に巻き込まれているという発想は、まさに哲学者HusserlHeideggerの存在論に類しているが、これが偶然なのか無意識的な影響なのかは明確でない。このように自己が外に位置するという発想は she smells the way one does (40)、「where is me?」と「I’m looking down at me (58) something coming out of me」と「I—them. I hear us say the words to me(108)などの例に見られる。
The Dogs』 は深刻なテーマを取り扱う作品ではあるが、ブラウンが採用する文体は遊戯的かつ滑稽であり、そして作者の言語に対する態度は、モダニズム文学の代表作家たち の態度に(特に言語と言語が指すはずのもののズレという点において)類似する、ということをここで証明した。そして最後に、作中の主体論ごときものを出 し、『The Dogs』は主体対象・内外などの二項対立の是非を問う作品であることを主張した。



[1]当然、動詞としての「disappear」は原則として自動詞でしか使われないが、1897年に出版された化学教科書に載った例「We progressively disappear the faces of the dodechahedron」から例外的な使い方もありうることが分かるので、ブラウンはおそらくその稀なる使い方を認識し言葉遊びとして使っているのではないかと考えられる。
[2] 当然、ユダヤ文学とは何かという課題は非常に複雑な問題であり一言で要約できないので、便宜上そのいくつかの特徴に絞る。つまり、シニフィ アンとシニフィエの乖離の意識、借り物としての言語、周りの環境や言語に対する場違いの感覚、追放者の意識、精神分析学によるイド・自我・超自我の意識深層、自意識の対象化、などが挙げられる。

11 comments:

Anonymous said...

Don't make me disappear your ugly dodechahedron face.

-Ian Hogarth

Anonymous said...

Ian,

Please refrain from referring to Beholdmyswarthyface's face without including the proper epithet (or is it a kenning? I can never remember which is which), "swarthy."

Your comment should have been: "Don't make me disappear your ugly dodechahedron swarthy-face."

-Josh Lander

Anonymous said...

It is neither a kenning nor an epithet, moron. It is simply an adjective.

-Mr. Language Hat

Anonymous said...

"Beholdmyswarthy," however, might be considered an epithet, no?

So perhaps he should have commented: "Don't make me disappear your ugly dodechahedron beholdmyswarthyface."

-Sally Suzuki, Beholdmyswarthyface Media Director

Anonymous said...

Beholdmyswarthyface,

First I must say that it is a great honour to be able to respond to post this article on Beholdmyswarthyface.com. I am very nervous but also excited. Please forgive my naive and shallow opinions, and my far-from-perfect English.

Miss Rebecca Brown is the well-known American contemporary novelist, whose books include The Terrible Girl , The Gift of the Body, and so on. Here I want to talk about The Dogs, which is a complex symbolic kind of experimental story. First I want to try to define the relationship between the dogs and the narrator.

I divided the story into 4 parts. Maybe that will be a little clear about how the story is happened and how it went on From chapter 1 to 5 was the beginning.

It describes the nameless young woman living in a nameless place , and one day a dog appear from nowhere. And she didnt expel it , she began to live wit h the dog.

At first It was kind of peace, mildness. She describes how the dog was waiting her in the house , how she brought home meat , and more than one time she told us she loved the dog , and was afriaid the dog would leave .

Even when she began to resent the dog ,she still think the dog is beautiful. The next part is from chapter 5 to 14 things became surreal she help miss dog give birth to the brood ,she herself also give birth to the brood . And the dogs keep generating. They began to take over her life they control her , keep watching on her ,forced her to work and bring home the meat .they abuse her .
The third part ,from 15 to 21 ,the scene is becoming more surreal , she become a baloon woman and the dog rebuild her and still torching her .the narrtor began to fight .

And from 22 to the last is The last part ishe finally leave the dogs ,and found a baby ,finally get solace . . .

Anonymous said...

Through the whole story, first no matter how the dogs abuse her ,toucher her , she still fancinating to the dogs . She resent them but still love them , the narrator has this really complex feelings ,she really cant leave them . Second all the dogs they seem to be only can see by the narrator herself ,no one else can see them . But they are actually exist , until the last part ,the narrator didnt say it was a dream or something . Here ,i try to think that ,the dogs is a symbolic that was deeply in the protagonists psyche , its a forever soulmate or a lover for the protagonist she made up for herself . They are brutish but when they save her ,they also have tenderness ,they torture her but they help her find the baby .In the deepest heart ,the narrotor loves the dogs , she cant leave without them she try to through them to find her missing soul , find herself and finally she did it ,she found the baby and made her alive , i think the baby means herself ,she and the baby can see themselves in each others eyes . When the baby grown up .She finnaly see the light .get the solace .

The second point i want to talk about the little red riding hood .there are many palces that the miss rebecca brown used the symbolize , the fairy tales, the morality play, medieval fable, Christian allegory, or else but i dont think it is particularly obscure .it is possible to read this book without knowledge of the symbolize ,and they are all working for the theme . For example about the little red riding hood . although The story has been changed considerably in its history and with many new versions being written and produced .like sexual awaken , rebirth or other morals but actually in the book , Miss rebecca brown changed the old story in an intersting way . Its kind of like watching films or movies . When the narrator want to wisit her grandma he put on the riding hood , and go through the forest , the first time she failed she the dogs grabbed her . But Like the movie palyback she restart it imideitly , the scene track out , and from the beginning again ..this time she finnally see the gramma ,the hunter became the woods man , and he didnt mean anything here , the wolf become the dogs , at the last part of the chapter 5 miss rebecca brown asked the question by herself ,how the dogs entered .this time no one can save gramma , because the one who killed her is inside her ,.its not from outside .thats just corresponded the title of the first chapter ,the immanence .Dogs living in her life was also inside her ,like her gramma .its in the deep root of the narrators mind . Its someting you have to suffer by yourself .no one can save you but youself ..

Another point is ,the list of the contents . When i read the book for the first time ,i cant see any clue in the book to explain the connection with traditional virtue showed on the contents .but when i read it for 2 or 3 times .i found out ,every chapter miss rebecca brown is trying to say,is exactlly correspond the the title . The constancy ,the charity ,the succor .for me I think that an amazing thing .

These are some of my opinions about the book . I am sure that , miss rebecca brown and others will have more interesting opinions which can help me deepen my comprehension .

-Yining Geng, Heilongjiang Province, China

Anonymous said...
This comment has been removed by a blog administrator.
Anonymous said...

That's a mighty long comment Ms. Geng of Heilongjiang Province!

-James Denreate

Anonymous said...

Rebecca Brown spoke to our class last week, and afterword we all went for drinks. She was funny, munificent, smart and unpretentious, and her almost Midwestern manner reminded me of my late cousin Dorcus from West Virginia. The focus of her talk was her 1998 novel The Dogs: A Modern Bestiary, which we had read the previous week. The Dogs is one of those rare works that works as both a novel and as poetry. The problem is that the poetry of the work— that is, her style, or rather styles, as she has many— is so enchanting that one forgets to read the story for the story. Her idiosyncratic phrasing— which fluctuates in register from high to low, often abruptly and within the same paragraph or even sentence— seems to recreate thought as it actually occurs, before it is ground through the mill of grammar.Yet Brown is never weird for the sake of being weird. She uses idiosyncrasies most judiciously. What are they, specifically? Here are some example sentences. Note how she breaks many of the generally accepted rules of “good writing”:

Anonymous said...

Absurdist obfuscation: “It felt so good to do the perfect, right surprise.” (17);

Anti-climax: “One day when I walked home from work there was a butcher’s shop.” (21);

Diffuseness: “She whined like a baby and then like a boy.” (23);

Periphrasis: “[The butcher] looked more like a doctor than the thing he really was.” (22)

Periphrasis: “We put our mouths against each other and opened them” (102)

Repetition: Repetition Compulsion, Freud/Lacan

Transitive verbs used transitively: “I thought if I could turn around, make charity from need, I could release” (27)

“I thought if I could tell.”

Intransitive verbs used transitively: “She disappeared me bit by bit” (13). (Although I’m told that this usage is correct and dates back to an 1897 chemistry textbook in which is found the sentence, "We progressively disappear the faces of the dodechahedron"?



The startling word: “. . . not where Grandma lived, poor helpless bat, . . . ” (94);

The anachronistic joke: “get grapes because workers are suffering” (29) (grapes were of course a luxury reserved for the upper classes in the 18th and 19th centuries in England, but are they now?)



Surrealistic humor: “There’ve been reports, he says, of rabbit hutches and chicken coops . . . of howling” (35);

Startling archaisms: “You’ll catch your death, my Grandma said. She knew whereof she spoke” (31)



During our brief post-lecture chat, I mentioned to her what I perceived as the Jewish quality of her writing. “I was born Baptist,” she replied. “Yes, I know,” I continued. But, still I sense a sort of Gertrude Steinian Jewishness in your prose. Specifically,

Anonymous said...

a) the awareness of language being an enclosed system, in which words don’t necessary correspond to anything external, and of being merely one mode among many;

b) how the narrator performs the rituals of the nation (loading groceries at supermarket on p 88, 97, etc.) always as an outsider, unnatural, like Bloom in Ulysses. General attitude of irreverence toward the language, its common usage.

c) the way the narrator uses language as if it were something borrowed, foreign, not her own, not corresponding directly to reality. Language, to her narrator, is merely the latest evolutionary mutation, and has nothing to do with her.

d) no division between internal and external; the self itself is externalized

d) take joke/thought/metaphor too far to point of awkwardness;

e) the Freudian influence, how the primitive is always just beneath surface, or not enough beneath, but included in the surface; the way she layers of consciousness are peeled away; the way the narrator is excessively self-conscious as in supermarket (85-6) (32).

f) the repetition: “reverent. Reverently . . .” repeating the phrase “asking-for-it-pretty” and “every day the dog was there”



After I’d finished my rather long monologue, Rebecca Brown replied: “What that’s the best praise I’ve ever received.”



tense change: past—historical present (5-)—past—last line in present: proximity to subject. 1-5 (past); 6-22 (present); 23- last chapter (past); last paragraph (present)



2. As Prose



1. A fundamental feature of Japanese modernist literature of the 30s and 40s is the “objectification of self-consciousness” (jiishiki no taishouka), which is something we see here in Brown’s work. As in the chapter the play scene (40-); view self from 3rd party; “I try to get away from her” (51). The subject/object divide splintered. The “another I” (mou hitori no watashi) like in Itou Sei’s “Streets of. ..”



the voice that occupies subject: dogs/wolves/language like in Exorcist, Zahir. Self as outward thing, already entagled in world; Husserl/Heidegger influence; you are not you (38); “she smells the way one does” (40); where is me?: “I’m looking down at me” (58); another person, separate, … (91); fragmented self, doppelganger (95); “something coming out of me”; I—them. I hear us say the words to me.” (108)



4. Profound Meditation on the nature of attachment, dependency, living with another. She gets it right, in the same way Eliot gets dehydration right in the Part 3 of The Waste Land (I was once stranded in the Sahara desert for an entire day without water, and believe me, once ). This is cohabitation at its purest. You’re either the dogs or the narrator. (I’m accused of being the dog.) Fo Brown, love is not saccharine it is bitter, brutal, horrifying, even disgusting (“opened”), and always regulated by relations of power.

Obvious question: are the dogs real or are they symbols of her mental state, “gnawing vultures of the mind,” as Tamura says in Titus Andronicus? Dogs as the Law, jealous or comforting at times, abusive at others, and the two dual images are superimposed on another (96).