Thursday, March 25, 2010

日本小説の自己陶酔の傾向についての雑感

This just in from Sally Suzuki:
「社会性」が欠如しているという点で日本の小説は昔からよく批判されて来たが、五年も東京で生活して来た結果、その欠如の所以はなんとなく分かる気がする。

要するに、多くの小説に社会性が感じ難いのは、実世界においても社会そのものが欠如しているからである。もちろん客観的に、たくさんの人間が生活するスペースであればそれを社会とは言えようが、その社会への意識がなければ何の意味もない社会にとどまるのである。(つまり、ものをものにするのはものそのものではなくそのものへの意識なのである、ということだ。)

おそらく、多くの人による「社会」という概念は、マイ家族・マイ学校・マイ会社・マイ配偶者などの小単位に限られており、より広い範囲での社会への意識ではない。国という漠然とした概念はあるにしても、もっと明確な広義での「社会」はない。従って多くの小説に社会性が感ぜられないのは、当然であり現実そのまま反映しているのである。

10 comments:

Dana Collister said...

Hey, I thought you weren't writing anymore till your thesis was finished!

O-Hisa said...

例えば、小泉政権時代、若い人の間で、おかしな愛国心が高まり、国家主義的、右翼的な思想や活動が盛り上がったことも指摘されたよね。それはまさに、社会やコミュニティーと自分の繋がりが欠落してるから、いきなり国と自分を直結させたのだ、という分析を目にしました。

Sally Suzuki said...

面白い雑感ではありますが、一つ指摘しておきたいのは、自己陶酔という傾向は日本の小説には限らず、世界諸国の近代小説の一つの大きな特徴として見られます。そもそも小説そのものが自己陶酔に過ぎない、という勧善懲悪的な批判もご存じのごとく国内外にあるのです。以上です。

Mother said...

>つまり、ものをものにするのはものそのものではなくそのものへの意識なのである、というものだ。Are you allowed to have that many mono's in one sentence?

g dawg said...

"I once thought I had mono for an entire year. It turned out I was just really bored."
-Wayne Campbell

Davy Parin said...

Doesn't the bundan 文壇 qualify as a "society"?

Anonymous said...

Mother is confused again, I read English quite well.

Ian Hogarth said...

Click on the above link, which I just happened to stumble across today. Is that you? Why do you sound like a retard?

Mayupokota Sperce said...

確かに…。
私は新米社会人?だけど今置かれている環境,人間関係で毎日過ごしているとそれが当たり前で自分は社会人でこれが社会なんだ、とか思っていたけど新しい出会いや、場所に行っ、た時に新しい発見や驚き、社会というか日本、世界、、??の広さに感動やとまどいを感じて自分の思っていたものよりもっと広くて深いものだったんだななんて感じます!
もっと広い視野、意識を持たないとだめですね~

Kay said...

なんか、この日記を読んではっとしました。社会性、欠如していると思います。相手目線でなく。自分目線で反応し対処している人は多いと思います。国は豊かになったけど、広い心は持てなくなっていて。。。若い人にもそれは顕著だと思います。もちろん大人でも。
 それでは、そのような国民性を進化(というか、自分対自分の周りでなく、自分達対社会)させていくには、どうしたらいいんでしょうね。政治家ですらできないですよね。。。