Tuesday, May 17, 2016

Study Guide: Essays in Idleness (Tsurezuregusa, c. 1330), by Yoshida Kenkō

Morrison
Study Guide: Essays in Idleness (Tsurezuregusa, c. 1330)

(*with focus on sections 1, 2, 7, 8, 10, 11, 20, 21, 22, 29, 32, 56, 79, 92, 105, 168, 235)

Original: [see below]
Translation: Translated by Donald Keene, Essays in Idleness: The Tsurezuregusa of Kenko (New York: Columbia University Press, 1967)

Yoshida Kenkō 吉田兼好 (1274-1338): A former court poet who became a priest. He is best known as author of Tsurezuregusa (Essays in Idleness), which is among the most famous and influential works of classical Japanese literature.

Tsurezuregusa 徒然草: a collection of 243 short essays written around 1330 at a time when Buddhist beliefs were spreading in Japan and were increasingly reflected in the literature.

Study Questions

1.      Yoshida Kenkō is a Buddhist priest, but his attitude toward Buddhism seems rather ambivalent. Discuss his view of Buddhism, Buddhist priests, Buddhist principles, etc. Identify specific Buddhist themes, images, and messages that appear in the text.

2.      Discuss what I call Kenkō’s “double vision,” viz. his unique perspective as both a Buddhist priest who understands the need to renounce worldly attachments and as a layman of keen interest in the things of this world. Cite specific examples from the text.

3.      Identify and discuss the theme of impermanence (J: mujō 無常) as it appears in the work. What does Kenkō say about this central Buddhist notion?

4.      According to Kenkō, how long should one live? Why? What happens in late-middle / old age that he deplores?

5.      What is Kenkō’s view of love, sexual desire, women, attachment, etc.? Cite specific passages from the text. Can we get a sense of his ideal female from his descriptions? Explain.

6.      Discuss Kenkō’s description of his ideal house, and its antithesis. How does this description relate to his general taste?

7.      A sense of living in an mappō 末法 (Ch: mòfǎ, the age of the degeneration of the Dharma, or Buddha’s law) pervades this essay. Discuss Kenkō’s view that he is living in a degraded present, and his nostalgic longing for a better past. Consider historical context.

8.      Throughout the work Kenkō contrasts the well-bred / refined / cultivated / sensitive person with the vulgar / unrefined / boorish person. What, in his view, are the qualities of the good person (yokibito)? What are the qualities of those “deplorably wanting in intelligence”? How do each behave, speak, carry themselves, etc.?

9.      Discuss the references to “emptiness” that appear in the work (mind as emptiness, images of sky, etc.). Why does he say that attachment to the sky is the last attachment one should give up? Consider these comments in the context of the Buddhist notion of “emptiness” (Sk: Śūnyatā).

10.  Consider the references to Chinese culture (specifically poetry) that appear in the work. How do these poems/ideas/themes/images inform his own sensibility?

11.  What does Kenkō say about procrastination? What is its cause? What remedy does he offer?

12.  In Fragment #105 he alludes to a conversation that he overheard at the “doorsill” of a “certain deserted temple” between “a man of obvious distinction” and a woman who emitted “an occasional, enchanting whiff of some exquisite perfume.” Using your imagination, write the dialog for this conversation.

13.  Though the work is overwhelming Buddhist in themes and images, there are some allusions to the native Shintō religion. Identify and discuss these passages..


Tsurezuregusa 徒然草 (ca. 1330-1332) (Excerpts)
Yoshida Kenkō吉田兼好

Title: Nihon Koten Tokuhon IV
Title: Tsurezuregusa
Author: Kenkō Yoshida
Publisher: Tokyo: Nihon Hyōronsha, 1939


いでや此の世にうまれては、ねがはしかるべき事こそおほかめれ。
御門の御位は、いともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有樣はさらなり、たゞ人も、舎人など給はるきははゆゝしと見ゆ。其の子孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それよりしもつかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したりがほなるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。
法師ばかりうらやましからぬものはあらじ、「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言がかけるも、げにさることぞかし。いきほひまうにのゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀ひじりのいひけんやうに名聞くるしく、佛の御をしへにたがふらんとぞおぼゆる。ひたぶるの世すて人は、なか/\あらまほしきかたもありなん。
人は、かたち有樣のすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うちいひたる、ききにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かずむかはまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性みえんこそ口をしかるべけれ。
しなかたちこそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにもうつさばうつらざらん。かたち心ざまよき人も、ざえなくなりぬれば、しなくだり、顏にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、ほいなきわざなれ。
ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、又有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走りがき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそをのこはよけれ。


いにしへのひじりの御代の政をもわすれ、民の愁へ、國のそこなはるゝをもしらず、よろづにきよらをつくしていみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、おもふところなく見ゆれ。
「衣冠より馬車にいたるまで、有るにしたがひて用ゐよ。美麗をもとむる事なかれ」とぞ、九條殿の遺誡にも侍る。順徳院の禁中の事どもかゝせ給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。


あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。
命ある物を見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふのゆふべをまち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年をくらすほどだにも、こよなうのどけしや。あかずをしと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心ちこそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命ながければ辱おほし。ながくとも、四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちをはづる心もなく、人にいでまじらはん事を思ひ、夕の陽に子孫を愛してさかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみふかく、もののあはれも知らずなりゆくなんあさましき。


世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。
にほひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳に薫物すとしりながら、えならぬにほひには、必ずこゝろときめきするものなり。九米の仙人の、物あらふ女のはぎの白きを見て、通を失ひけんは、誠に手足肌などのきよらに肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。


家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、かりのやどりとは思へど、興有るものなれ。
よき人ののどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一きはしみじみと見ゆるぞかし。いまめかしくきらゝかならねど、木だち物ふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子、透垣のたよりをかしく、うちある調度も昔覺えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
おほくの工の心をつくしてみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度どもならべおき、前栽の草木まで心のまゝならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやはながらへ住むべき。又時のまの烟ともなりなんとぞ、うち見るよりおもはるゝ。大方は家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。
後徳大寺大臣の寢殿に、鳶ゐさせじとて繩をはられたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かはくるしかるべき。此の殿の御心、さばかりにこそ」とて、そののちはまゐらざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂どのの棟に、いつぞや繩をひかれたりしかば、かのためし思ひいでられ侍りしに、誠や、「烏のむれゐて、池の蛙をとりければ、御覧じ悲しませ給ひてなん」と、人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覺えしか。徳大寺にもいかなる故か侍りけん。


神無月の比、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入る事侍りしに、遙なる苔のほそ道をふみわけて、心ぼそくすみなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝかけ樋の雫ならでは、つゆおとなふ物なし。閼伽棚に菊紅葉など折りちらしたる、さすがにすむ人のあればなるべし。
かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、おほきなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしくかこひたりしこそ、すこしことさめて、此の木なからましかばとおぼえしか。


なにがしとかやいひし世すて人の、「此の世のほだしもたらぬ身に、たゞ空の名殘のみぞをしき」といひしこそ、誠にさも覺えぬべけれ。


萬のことは、月見るにこそなぐさむものなれ。或人の、「月ばかり面白きものはあらじ」といひしに、又ひとり、「露こそあはれなれ」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。
月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩にくだけて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「 げん湘日夜東に流れさる、愁人の爲にとゞまること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。けい康も、「山澤にあそびて魚鳥を見れば心たのしぶ」といへり。人とほく、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心なぐさむ事はあらじ。


なに事も、ふるき世のみぞしたはしき。今やうは無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる美しきうつは物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。いにしへは、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今樣の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」といふ。「主殿寮人數たて」といふべきを、「たちあかししろくせよ」といひ、最勝講の御聽聞所なるをば、「御かうのろ」とこそいふを、「かうろ」といふ、くちをしとぞ、ふるき人はおほせられし。


しづかに思へば、よろづに過ぎにしかたの戀しさのみぞせんかたなき。
人しづまりて後、ながき夜のすさびに、なにとなき具足とりしたゝめ、殘しおかじと思ふ反古などやりすつる中に、亡き人の、手ならひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折の心地すれ。此の比ある人の文だに、久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いとかなし。


九月廿日の比、ある人にさそはれ奉りて、明くるまで月見ありく事侍りしに、おぼしいづる所ありて、案内せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひしめやかにうちかをりて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。
よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優におぼえて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸を今すこしおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、くちをしからまし。跡まで見る人ありとはいかでか知らん。かやうの事は、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人ほどなく失せにけりと聞き侍りし。


久しくへだたりて逢ひたる人の、我が方にありつる事、數々に殘なく語りつゞくるこそあいなけれ。へだてなく馴れぬる人も、程經て見るは、はづかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、けふありつる事とて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きていふを、おのづから人も聞くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事をいひてもいたく興ぜぬと、興なき事をいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。
人のみざまのよしあし、ざえある人は其の事など定めあへるに、己が身をひきかけていひ出でたる、いとわびし。


何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知りがほにやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世にはづかしきかたもあれど、みづからもいみじと思へるけしき、かたくななり。
よくわきまへたる道には、必ず口おもく、問はぬ限は言はぬこそいみじけれ。


或人、弓射る事を習ふに、もろ矢をたばさみて的にむかふ。師の云はく、「初心の人、ふたつの矢をもつ事なかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑の心あり。毎度たゞ得失なく、此の一矢に定むべしと思へ」といふ。僅かに二つの矢、師の前にて、一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師是を知る。此のいましめ、萬事にわたるべし。
道を學する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。況んや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心有る事を知らんや。何ぞ只今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。


北の屋かげに消え殘りたる雪のいたう凍りたるに、さし寄せたる車のながえも、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに、 人離れたる御堂の廊に、なみ/\にはあらずと見ゆる男、女となげしにしりかけて物語するさまこそ、何事にかあらん、つきすまじけれ。
かぶし、かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬにほひの、さとかをりたるこそをかしけれ。氣配など、 はつれ/\きこえたるもゆかし。[1]


年老いたる人の、一事すぐれたる才の有りて、「此の人の後には誰にか問はん」などいはるゝは、老のかたうどにて、生けるも徒らならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、一生此の事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」といひてありなん。大方は知りたりとも、すゞろに言ひちらすはさばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤もありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」などいひたるは、なほまことに道のあるじとも覺えぬべし。まして、知らぬ事、したり顏に、おとなしくもどきぬべくもあらぬ人のいひきかするを、さもあらずと思ひながら聞き居たる、いとわびし。


主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り來る事なし。あるじなき所には、道行き人みだりに立ち入り、狐、ふくろふやうの物も、人げにせかれねば、所えがほに入り住み、こだまなど云ふ、けしからぬかたちもあらはるゝものなり。又、鏡には色かたちなき故に、萬の影來りてうつる。鏡に色かたちあらましかば、うつらざらまし。
虚空よく物を容る。我等が心に念々のほしきまゝに來りうかぶも、心といふもののなきにやあらん。心にぬしあらましかば、胸のうちに若干のことは入り來らざらまし。









[1] NKBT reads 人離れなる. NKBT reads はづれはづれ.

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